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ご意見・ご感想

ふれあいの輪は、新しいホームケア・在宅介護を目指して、
(公財)フランスベッド・ホームケア財団によって
運営されています。

ふれあいの輪

ズームアップひとZoom up Person

浅原 聡子氏

有限会社でく工房

代表取締役 竹野 節子

1957年東京都生まれ。日本アイ・ビー・エム株式会社に就職し、キーパンチャーとして6年間勤務。34歳で竹野廣行氏と結婚。専業主婦となり2人の子どもをもうける。2003年、夫の急死に伴い有限会社でく工房代表取締役就任。今日に至る。

お客様の笑顔とともに

一人ひとりの障害にあわせて
椅子・車椅子をつくりたい
──創業者(夫)の遺志を受け継ぐ。

障害者一人ひとりのカラダにあわせた椅子や車椅子の製作に携わり半世紀になる“でく工房”。社員10人(女性8人、男性2人)の工房の社長がこの人。創業者の夫が急死し、専業主婦から子育てをしながら社業をここまで継続してきた。「それまで座ることができない、あるいは座ったことがなかった子が、座れた瞬間の笑顔を見られることが一番の幸せです」
モノづくりの熱い魂はそのまま妻に受け継がれた。

当時の発起人の話

その子の笑顔、ご家族の喜ぶ顔が見たくて

── 一人ひとりの障害に合わせて、椅子や車椅子をカスタマイズ。施設や病院に出向き、セラピスト立ち会いのもと状況を聞き、形状・大きさ・必要な部品など決定し、使う人一人ずつに合わせた製品を生み出す。

 ベースとなる椅子や車椅子等購入した製品をそのままで使える子はまずいません。座ったときに体がフラつかないように座面のクッションを形作ったり、からだを支えるためのクッションを骨盤や体のサイドに追加したり、フットレストに置いた足がバタつかないようにベルトでおさえる仕様にしたり、と、使う人に合わせてカスタマイズしていきます。

 座ったときにその方にとっての良好な姿勢が保てるように椅子や車椅子を調整することをシーティングといいます。この世界のモノづくりは、すべてシーティングを行うことが大前提です。

 座ることができなかった方が座ることができたとき、歩いたことがなかった方が歩行器で歩けたとき、頭を支えていないと座れなかった方が自由に頭を左右に動かせたとき等々、それまでできなかったことができた時の本人、ご家族の笑顔は本当に素敵です。

 納品後に動画を送って知らせていただくこともあります。「作ってもらった椅子に座ったら、今までこぼしてばかりだったのにとてもじょうずにご飯を食べています」「歩行器でこんなに歩いています」

 こんな時は、メンバーみんなと動画を共有して喜びます。

その人に合わせた椅子にカスタム

本当に必要な道具、それをつくる人がいない

──でく工房の創業は1974年。いすゞ自動車で機械設計をしていた竹野廣行氏が、佐世保の同郷の仲間2人と車庫の一角を借りて創業した。大手メーカーを数年でやめた理由を、NHKの番組で本人がこう告白している。「大量生産で誰が使うかわからないクルマより、身近な人の暮らしに役立つ道具をつくりたかったから」。
社名の「でく」には、困ったときにいつでもやってきてくれる大工(でぇく)のようにとの思いが込められている。

 佐世保から上京しそれぞれ会社勤めと学生をしていた若者3人が、これからの生きる道を模索していました。そんなときに同郷の知人から、脳性まひの息子さんのために起立保持具(スタンディングテーブル)を造ってほしいと頼まれました。ご家族にとても喜ばれ、友達のご家族からも次々と作製の依頼を受けました。当時は、障害になったらもう寝たきりという時代。その子が普通に生活を送るのに必要な道具は世の中にないし、ましてやそれを仕事にしようという人などいませんでした。3人は、これこそ自分達がやる仕事だと確信し、会社をやめ1974年にでく工房を創業しました。

 しかし、全国にいる障害の方々に道具を供給するためには自分達3人だけでは無理だと考え、志を同じくする仲間を増やしていこうと動きました。何か変わったことを始めた若者たちがいるということで、テレビや新聞などに取り上げられることも多く、その際に、仲間になってこの仕事をしてくれる人を増やしたい、その趣旨をくんでもらった上での取材を受けることにしました。結果仲間は増えていき、その仲間たちと「全国工房連絡会」という会をつくり、年に1度集まっては情報を交換したり、技術や材料などを教えあい、全体のレベルをあげていきました。

 今では、工房だけでなく、子供用の福祉用具を作るメーカーも増え、福祉機器の展示会も全国のいろいろな地域で開催できるようになってきています。

続けることだけを考えてここまできた

──2003年9月、夫であり社長の竹野廣行氏が、入院して数時間後に医療ミスによる窒息により急死(享年53歳)。社業が軌道に乗り、同業の仲間も全国に増え、さあこれからというときだった。6人の社員と、プライベートでは9歳と4歳の子どもが残された中で社業は妻が引き継いだ。

 あまりに突然のことで、何もわからないままの社長就任でした。お客様のことも、従業員のお給料も、仕入れ先も振り込み先も何もかも分からず、書類を探しながらの毎日でした。最初の10年は目の前のことをこなすだけで精いっぱいでした。「突然主人から渡されたバトンを受け取った意味は」と考えたとき、この事業を「続けていくこと」と考え毎日毎日を過ごしてきました。

 よかったのは、独身時代に日本アイ・ビー・エム株式会社でキーパンチャーをやっていたので、コンピュータ化の波についていけたことです。

 10年過ぎて徐々に足元や未来を見渡せるようになってきました。

作業場の様子

でく工房の今

──2006年に制定された障害者自立支援法のもとで障害の方々の用具をカスタマイズする仕事を続けてきた“でく工房”だが、これ以外に自社オリジナル製品の開発、販売も事業として展開している。

 そのひとつは創業から数年後に開発した「すくい易い食器」シリーズです。スプーンですくった食べ物が自然にスプーンにはいるようにフチが内側に傾斜している器と、握りやすい大きな取っ手のついた倒れにくい形状のカップです。まだユニバーサルデザインという言葉がない時代に、誰もが使いやすい器をというコンセプトで製品化したものです。1988年にグッドデザイン賞を受賞したロングセラー製品です。

 他には、座るをサポートする椅子「レポ」シリーズです。シーティング理論のもと、骨盤パッドや背中のベルトなどで体を支えることができ、椅子の高さや奥行きも座る人の体のサイズに合わせて調整できます。2016年には日本リハビリテーション工業協会(後援:フランスベッド)の福祉機器コンテストで優秀賞を受賞しました。

高齢者は今も、椅子に自分を合わせている

──昨年、創業50周年を迎えた“でく工房”。障害者の福祉用具づくりのパイオニアとして、特にシーティング技術の先駆者として、その存在感はゆるぎない。竹野社長の問題意識は、今、障害者から高齢者のシーティングにも向かっている。高齢者と障害者の福祉制度の違いもあるが、高齢者のシーティングはあまりに軽視されているという現実があるからだ。

 障害者の世界に比べ、高齢者においてはいまだにシーティングに対する関心が低く、施設や在宅では今も不適切な座位が見過ごされています。シーティングをしっかり行うことで丸まった背中が伸び、下を向いた顔が前を向くことで気道や食道は正され、ADL(日常生活動作)が大きく改善した事例をいくつも見てきました。シーティングを行うことで健康寿命が延び、ひいては介護保険の国庫負担低減につながります。

 高齢者は座っている時間が長くなります。シーティングが行われないまま座り続けると、体の機能がおとろえていくばかりです。

 弊社の製品「シーティングに求められる機能が備わった椅子『レポ』」に座って座り方を変えてあげることで、全介助での食事が自ら食べることができるようになったり、体の緊張がとけたり、無表情だった方が穏やかなにこやかな表情になってコミュニケーションがとれたり、とADLが格段に改善される事例をたくさん見ています。

 もっともっとシーティングが一般的に行われるようになり、高齢者の生活が豊かになるお手伝いをしてまいりたいと思っています。

シーティング前とシーティング後

貴重な当時の資料

こどものための福祉機器展の開催

 “でく工房”は毎年「こどものための福祉機器展」を開催しています。運営は“でく工房”がすべて行っています。

 2014年、創業40周年の記念事業として展示会場の一室で小さな福祉機器展を行いました。この展示が評判をよび、翌年から「こどものための福祉機器展」と名前を定め以来毎年開催しています。来年は第10回となります。福祉機器はからだの一部といえるにもかかわらず、見たり試したりする機会が少なく、このような展示会には多くの関係者が来場されます。来場者の熱量の熱さには毎回圧倒されます。

 第10回 こどものための福祉機器展withおとな
 セミナー同時開催
 日時:2026年8月8日(土)、9日(日)
 場所:東京たま未来メッセ

連絡先

有限会社でく工房
〒196-0002
東京都昭島市拝島町2-11-10
TEL 042-542-7040
dekumado@deku-kobo.com